武蔵野銀行の静かなロビーに、その日も多くの利用客が訪れていた。中でも目を引いたのは、古びたジーンズにチェックのシャツを着た老人と、その手を握る小さな男の子だった。男の子が大事そうに抱えていたのは、赤いダルマ型の貯金箱。その姿に、受付カウンターの若い職員たちは小さく笑い、耳打ちを交わしていた。

「あれ、昭和のまま来たのかな？」

「今どき貯金箱って…ATMあるのにね。」

その場にいた誰もが、彼をただの田舎の老人と思っていた。ただ、彼――山本太郎は、かつて日本の建設業界を牽引した名経営者。その日、彼が貯金箱の預け入れに来たのは、孫・佑人の一年間の努力を応援するためだった。

しかし、彼の申し出は冷たくあしらわれた。職員たちは対応を後回しにし、挙げ句には「貯金箱を開けてから来てください」と突き返した。孫の佑人は悲しそうにうつむき、太郎は悔しさを心に秘めながら銀行を後にした。

その夜、太郎は決意を固めた。「見た目で人を判断する世界を変えたい」そして、翌日、すべてを変える一歩を踏み出すことになる。

翌朝、銀行の駐車場に一台の黒い高級セダンが止まった。ドアが開き、現れたのは、完璧なスーツに身を包んだ紳士。

昨日の老人と同一人物とは、誰も気づかないだろう。その男は、堂々と銀行に入っていった。

「おはようございます。山本太郎と申します。本日、口座から5億円を引き出したく、担当者をお願いします。」

受付にいた職員は一瞬、言葉を失った。あの老人が、5億円？ロビーにいた客たちもざわつき始める。昨日、彼をあしらった中村課長と党主任の顔色は、見る見るうちに青ざめていった。

慌てて支店長代理が飛び出してきた。「山本…太郎会長！？…失礼いたしました。すぐに応接室へ！」

案内されたVIPルームでは、すでに弁護士と秘書が待機していた。そこに、昨日の少年――佑人が、光る新しい通帳を手に笑顔で駆け込んできた。

「じいちゃん！通帳作ってもらったよ！ちゃんと、名前入り！」

太郎の目が優しく細められた。

「それは良かった。今日の主役は、君だからな。」

支店長代理が震える手で言葉をつなぐ。「あの、会長…5億円の件は本当で…？」

太郎は静かに頷いた。「ああ。だが、これは単なる引き出しではない。私が選ぶべきは、“人を大切にする銀行”だ。昨日の出来事は、私の中で判断の材料になった。」

銀行内は騒然となった。社員たちは何が起きているのかと動揺し、昨日、太郎に冷たく接した職員たちは自らの無礼を悔やんだ。

その後、太郎は続けた。「この子のように、未来を信じて努力している子どもを笑う社会であってはならない。

私はこの銀行に、それができるのかを見ていたのだ。」

伊藤主任――かつて太郎の支援で大学に進学し、今や支店の幹部となった男が、深く頭を下げた。「会長、どうかこの銀行にもう一度チャンスをください。全職員に意識を改めさせます。」

太郎は、少し考えてから微笑んだ。「では、その意志を示す場として、佑人の貯金通帳を祝ってあげてほしい。

未来の希望として。」

そうして、佑人の貯金が記念口座として登録され、銀行側から記念メダルが贈られた。太郎の5億円の引き出しは、最終的に保留となったが、銀行はその日から大きく変わった。

数日後、武蔵野銀行のホームページには、新たなキャンペーンが発表された。

「未来の貯金箱キャンペーン」――子どもたちの初めての貯金を応援します。

そこには、赤いダルマのイラストと共に、微笑む老紳士と孫の姿が映っていた。人を見た目で判断しない――それが、太郎が5億円と引き換えに銀行に投げかけた、静かな革命だった。